イスラエルとイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラの戦闘が激化しているレバノンを,2004年1月,Phonethicaの取材のために訪れた.

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滞在中はベイルートをベースに数日間のフィールドワークを行ったのち,フェニキア文字発祥の地,ビブロスを望む高台に位置する友人の山荘に拠点を移し,大学教授で弁護士でもある友人の御親父からレバノンの複雑に絡み合った近代史のレクチャーを受けつつ,取材記録の整理と編集を行った.帰仏前夜には再びベイルートに戻り,レバノン人アーティストやアクティビスト達数人と朝まで話しをした.

その中の一人,現在はパリを拠点に活動するアーティストから昨日,近況を伝える一通のメールが届いた.

「自分の作品を高く売ってイスラエルを攻撃するためにミサイルを買いたい」と語っていたそのアーティストは,公約通りリオ・デ・ジャネイロの大富豪とパリのサンジェルマンにあるギャラリーに自分の作品を売り,そのお金で本当にミサイルを買ったという.

また,「この国に一番必要なのは教育システムだ」と静かに話していた有機食品レストラン経営者の青年は,先週,大いに繁盛していたその店の権利をフランス資本の会社に売り,数年前から資金援助をしていたというヒズボラに正式に加わったそうだ.

一方,薬学を学ぶために米国留学を目指していたそのレストラン経営者の妹は,駐レバノン米国大使館の公募するスカラーシップに選抜されて大喜びしたのもつかの間,そのプログラムが実は中東情報専門家の養成を目的としているのではないかと訝る両親の大反対に屈し,現在もベイルートのユネスコ関係の事務所でインターンを続けているとのこと.

「世界の警察」を自認するその米国は国連や欧州,アラブ諸国が求める即時停戦要求を事実上拒否した.

第一次大戦後から1943年の独立までフランスの委任統治下にあり,現在もフランス語が公用語の1つになっている影響からか,レバノンで話されているアラビア語はとても柔らかく優しい響きをもつ.滞在中は様々な人にインタビューを行ったが,その記録のひとつを以下におく(若干聴き取りにくいが,時々相づちを打っているのが上記したミサイルを買ったアーティストの声).

遠藤拓己

http://www.inexhale.net/audio/04011301.mp3


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